駄文集

思ったことをただ書きます

フレンド

 広いベッドだった。マットレスの中央で2人分の肉体がくっついていたからだ。肉と肉の境界は限りなく曖昧になっていた。彼女とは去年、大学で出会った。偶然、大教室での講義で席が隣になったことから知り合ったのだ。今僕らは行きつけのホテルにいた。このホテルは彼女が紹介してくれた、なんでも前の男とよく来ていたそうだ。そんな彼女はフロントでのチェックインや部屋の間取り、備え付けられたヘッドボードの操作などに手慣れていた。そのため、僕はいつもホテルに来る度に前の男の幻影を見ざるを得なかった。

 お互い、最初は遊びのつもりのはずだった。彼氏彼女とは別の関係の、でも少し特別な、そんな関係に酔っていた。しかし何度も何度も逢瀬を重ねているうちに、彼女のことを強く意識するようになっていった。それは彼女にとっても同じだと思う。僕も彼女も、お世辞にもそういった営みは上手ではなかった。そのことが逆に、僕らの関係をより特別なものにしていった。彼女と僕は、0.01ミリの壁を経て完全につながっていた。

 僕は意を決して、この関係を終わらせたいと彼女に伝えた。彼女に会うことが苦痛になったり、飽きたりしてしまったわけではない。何となく、僕達の関係を世間が許さないような気がしたからだった。彼女も口にはしないが、薄々そう感じているように思えた。世間とは私だった、というようなことを誰かが言っていたが、僕にとって、紛れもなく世間は他人だった。そう思わないとどう生きたらいいのか、わからなくなるからだ。これで彼女に会うのが最後だと思うと、僕は心に空白を感じた。大事なものが体の内側から失われているようだった。それは酷く空腹のときの感覚に少し似ていた。これからの生活で彼女がいなくなるなんて考えたくなかったし、考えられなかった。

 ベッドは狭かった。未練が残らないように、これ以上執着しないようにと、お互いベッドのはじっこで寝たからだった。僕は彼女が寝ている方へ簡単に行けないように、ベッドから落ちるすんでのところで横になっていた。そして僕はベッドの真ん中くらいのところにあった彼女のバスローブの端を掴んで、静かに泣いていた。少しすると、もう一方のはじっこにいたはずの彼女が、僕の頭を撫でてくれた。慰めの言葉をかけてくれた。何が慰めだ。彼女に気を遣わせてしまった自分が酷く情けなく思えた。撫でられたら、慰められたら、彼女を忘れられなくなってしまう。そう考えた僕は彼女の手を振り払った。それでも彼女は再度撫でてくれた。僕は強く彼女の手を押しのけた。これで僕のことを嫌って欲しいと願うばかりだった。

 空調の音が響く。同じベッドの上で、体をくゆらして鳴る衣擦れの音が聞こえる。眠れない僕は暗闇の中で眠っている彼女の顔が見えないかと、ヘッドボードに置いたメガネをかけた。ほとんど何も見えなかったが、常夜灯のかすかな赤い灯りの元、ほんの少しだけ見ることができた。それは黒の世界の中で、うっすらと白い肌で縁取られた顔だった。その顔は、静かな湖畔の上で舞う蝶のように美しかった。茶髪気味な毛髪は、世界で一番艶やかな糸のように見えた。彼女が立てる寝息は、僕をどうしようもなく切なくさせた。

 朝、彼女は先に起きていたらしい。ベッドに彼女の姿は見えなかった。シャワーの音が聞こえる。この音は僕だけのものだ。そう思うとまたなんだか虚しくなってきた。この施設で、この部屋で、誰ともしゃべらずに独りでいることの空虚感は凄まじいものだ。一度手に入れたものを手放さなければいけないやるせなさ。全てのものに裏切られた気分だった。

 扉が開く音がする。彼女がシャワーを終えたのだろう。化粧をしている。汗や体液で乱れる前の、ホテルに入ったときの彼女の顔になっていた。これから先、彼女のこの姿を他の男に見られると思うと血液が沸騰しそうだった。

 後日、あの大教室での講義があった。いつもより空調が寒く感じる。僕はいつも2人で座っていた席から少し離れたところに座っていた。いつもの場所には女子大生が彼氏と思しき男性と座っていた。彼女と僕が並んで座っていた光景も、彼氏彼女の関係のように見られていたのであろうか。僕はその女性の姿に、別れた彼女の姿を重ねてしまっていた。