駄文集

思ったことをただ書きます

私の創作事情について

 今回は私の創作事情について話したいと思う。はてなブログを始めてもう半年ほどの期間が経過した。現在、これを含めないで8つの文章を公開している。当初の目標は一週間に1つの文章を投稿するという目標を持っていたが、このざまである。

 文章を投稿し始めるきっかけは、大学がオンライン授業になったことだった。また当時はバイトもしていなかったため、私は4月から6月あたりまで、ずっと家に籠っていた。元来日常的に外に出る気質ではないため、外出する用事がなければとにかく靴を履かなくなっていた。晴読雨読である。一か月間以上外に出ないとどうなるか、その症状は人それぞれであると思うが、私は鬱のような状態になっていた。何にもやる気は起きないし、ストレスが溜まっていった。ストレスの原因は様々であったと思う。今振り返ると、不健康な生活や特にやることがないこと、友達のインスタグラムのストーリー、うるさい親など、呼び水となるものはいくつでもあった。

 このような、山をなした心的負担といくらでもある空いた時間を払拭するためにやり始めたことがこのはてなブログだった。もともと文章を書くことはそんなに嫌いじゃないし、不得意にも感じていなかったから、とりあえず始めてみた。このような経緯と目的から、自分の書いた物語の主人公は大体精神状態がよろしくない。鬱の人間が書く話なんてろくなものではない。しかも多分そうじゃない作品は今後とも自分には書けないと感じている。精神がまともな人は平凡すぎて物語の主人公に向いていない。

 自分が書いた文章をネット上で公開するという行為はそこそこ楽しい。幸い自分の作品を肯定的に捉えてくれる方がいらっしゃるためだ。このことに関しては本当に幸運だった。特に感想をくれる方には頭が上がらない。幸甚の至り。

 それでは果たしてはてなブログで自分の鬱が解消されたか。その実、微妙である。確かにあの頃の鬱は解消されたが、別にはてなブログはそこまで効力を発揮していないと思う。物語を作ることは鬱解消の役には立ったが、恐らくはてなブログよりも人と会うようになったとか、1日の中で目標を持つようにしたとか、歌を歌うとか、そっちの方が心身に良かったような気がする。

 しかしながら、(ペースはどうあれ)半年以上続けられているので、文章を考えることや思いついたネタを書き留めておくことはもはやライフワークになったと言っても過言ではない。ふとしたときに物事の描写をすぱっと切り取って表現できるような言い回しを思いついたときは結構な悦である。(それらは大概後になって確認してみるとただ冗長な言葉遣いである場合が多い)。それと副次的な効果として、レポートを作成する時間も短くなった気もする。

 また、はてなブログをやってみて気づいたことがいくつかある。まず、アイデアは唐突に閃くものだということ。正直ずっと考えていて何か思いついたためしがほとんどない。次にアイデアは泡の様に儚いものであること。書き留めておかないとすぐに消えてしまう。もしくはすぐに文章を書くことに着手しないといけない。最後に、創作には時間をかけた方が良いということ。大抵の文章は次の日の朝に読むと駄作である。そのため、時間をかけて手直しをする必要がある。

 最後にこれを読んでいる人にお願いが2つある。1つは、物語と私をあまり恣意的に結びつけないで欲しいというお願いである。これまでに公開した文章もこれから公開する文章も、全ては書けるから書いた暇つぶしである。やれるからやっただけで、そこにたいした意味はないと捉えていただきたい。2つ目のお願いはであるが、私のお台箱(https://odaibako.net/u/Sky_Sky_SkySky)の方に物語の感想や批評や文句、それかリクエスト等を送って欲しいというものである。こちらは送っていただければ送っていただけるだけ文章を書く際の励みになる。基本的に送られてきたものはツイートを行うが、ツイートしないで欲しいという旨を添えてくださればツイートをしない。不躾な願いで申し訳ない。それでは失敬。

ある空間において物体が占める割合について

 部屋を片付けたい。無論、散らかっているからである。机上にはメガネを拭くための布や使われないのに役に立つという顔をしている何本ものコードなどが互いに縄張りを主張し合っている。床の上では掛け布団がだらしなく起き抜けの姿のままで寝ており、いつから積み重ねられたか不明な背表紙が不揃いの本たちが児童のように背を競い合っている。この部屋には秩序がない。散らかした、という言葉の述語に対する主語以外は。散らかしたくて部屋を散らかす人は恐らくいないだろう。つまりは、結果的に散らかるということだ。ということは、少しばかり目を閉じて視点を変えると、私は全くの被害者なのだ。加害者は私である。部屋をきれいにしたいと、毎日風呂につかりながらやんわりと思う。風呂は考えることを除いて、何か思索に耽るには最適の場所だ。ここで言う、思索する、というのはただぼんやりすることである。これはとりたて趣味と言えるような趣味がない人が、趣味欄にただ二文字、読書と枠を埋めるようなことに似ている。これを二文字で表すと、方便である。さて、風呂でぼんやりと己の部屋を片付けると意気込んで、お湯から出る。体を拭く。髪を乾かす。牛乳を飲む。部屋のドアを開ける。そうすると、さっきまで考えていた今後の予定などはとんと消えてしまう。朝から敷いてある布団の上に寝っ転がる他できなくなってしまう。多分、夜も更けると、体が布団を恋しく思ってしまうのだろう。また、布団も体を求めてしまうのだろう。これはまさしく自然な現象なのではあるまいか。朝に太陽が光り夜に月が輝くように。長い距離を飛ばそうと投げたボールが大きな弧の軌道を描いて落下していくように。きっとそうである。体と布団はそのような関係性にあるに違いない。それに部屋が散らかってたって良いではないか。それは生きた証である。それは私という生活の痕跡、人生の轍である。物がたくさんある空間というのも、自分がデザインしたと考えれば愛着が湧いてくるものである。その中で長い時間を過ごしてきたのならば、それはなおさらだ。そういうわけで、部屋が汚くなってくる。しかしながら、それまでの自分の生活を肯定しながら生きることも、それはそれで大切なことのように思える。特にアイデンティティが崩壊、瓦解、拡散していると評される現代社会に生きる人々の心のケアには必要な処置なのではないか。だから、部屋を片付けるのは今じゃなくていい、そう布団の中で思う。

夜行

 私は気がつくと夜の電車に乗っていた。どうして乗車しているのか思い出せない。乗る前に何をしていたのかもわからない。これは夢なのだろうか。わけがわからない。しかし夢と思ったとて、特に変化はなく、時間が過ぎるだけだった。どうしようもないので、とりあえずどうしてここにいるかどうかについては考えないことにした。

 私の周りに他の乗客はいなかった。左右に顔を向けて連結部の窓から両隣の車両の様子も伺ってみたが、そこにも誰かがいる気配はない。どうにもこうにも、この電車には私しか乗車していないようである。なんだか安堵した。往々にして、電車の中には変な人がいるものである。何か挙動がおかしな人、お互いを触り合うカップル、痴漢、痴漢、痴漢。もし私がここら辺の地域でそこそこ名の知れた女子高の制服を着ていなかったら、痴漢はもっと近寄らないでいてくれただろうか。それともそれとは別の要素、例えば少女性とかを持っているから彼らは距離を詰めてくるのだろうか。どちらにせよ、今この瞬間の連続に私は1人だ。それが大事である。そして今気づいたのだがこの電車、広告が全くない。普通の電車ならば、やれ脱毛をしろだの、やれ予備校に通えだの煩わしい文句が垂れ流しにされているが、ここにはそれが一切なかった。歌舞伎町を更地した景色にはきっとこんな感じだろう。現実にも、こんな風に漂白剤をぶちまけられたらどんなにすっきりすることだろう。一日が「きょう、ママンが死んだ」という描写から始まったらどんなに気持ちに余裕ができるだろう。別に母親がうっとうしい訳ではないのだ。もちろん、不満がないわけではないが。ただ、母親がいなくなったら新しい日々が始まることは確かだ。

 毎日通学しているように、進行方向に対して横向きに座っている。いつもはつり革を掴んで立っているサラリーマンたちがいるため、私の向こう側の窓は見えないのだが、今は窓の全体を見ることができる。反射して映る青い座席と白い壁、流れていく寂寞な黒の世界、そして私を見つめ返す私がいた。ぽつぽつと光る街灯や家の明かりがアクセントだった。窓枠の上部には月が浮かんでいる。ちょうど満月で、黒く塗った画用紙に、とりたての卵の卵黄一つ落とした感じだ。小石をいくつか掴んで、散弾銃のように思い切り宙に投げ放った瞬間を切り取ったような星々も点在している。あの宙に浮かぶ卵の中身を握り潰して黒に飛び散らせたら、さぞかし気持ちがいいだろう。そしたらそれを吸い込んで、月の欠片で肺を満たしたい。そうしたら、浮ける気がする。浮いた後はどうしようか、ただ目的もなくふらふらと世界を漂う浮浪者になるのもいいかもしれない。いや、それよりも、地球を飛び出して、ひたすらどこかを目指して進む方がいいのかもしれない。

 気づくと辺りは白んでいた。現実を脱色したように感じる。夜が明けたのだろうか。どのくらいの時間が経っただろう。私は一体、どこに行ってしまうのか。一抹の不安が頭の隅にちらついていた。けれども、何故かこの電車から降りる気はわかない。それはいつかどこかに着いて、降車できるだろうという思いと、このままどこかに連れて行ってくれるという思いがあるためだ。世の中に止まらない電車はないはずである。例え環状線を走る電車であったとしても、いつかは車庫に入るであろう。何より、ここは居心地が良い。思い出せないのに胎内にいた感覚を思い出す。程よい人体の温もりと羊水のフィルターを通されたくぐもった安心できる音、確信的な無償の愛情。ここの空間はなぜかそれを感じる。この電車が止まるまで眠ろう。そう思った。

閲覧注意

 広い閲覧注意だった。閲覧注意の閲覧注意で閲覧注意の閲覧注意がくっついていたからだ。閲覧注意と閲覧注意の閲覧注意は限りなく閲覧注意になっていた。閲覧注意とは閲覧注意、閲覧注意で出会った。閲覧注意、閲覧注意での閲覧注意で閲覧注意が閲覧注意になった閲覧注意から知り合ったのだ。閲覧注意閲覧注意は閲覧注意の閲覧注意にいた。この閲覧注意は閲覧注意が閲覧注意してくれた、なんでも閲覧注意の閲覧注意とよく来ていたそうだ。そんな閲覧注意は閲覧注意での閲覧注意や閲覧注意の閲覧注意、備え付けられた閲覧注意の閲覧注意などに手慣れていた。そのため、閲覧注意はいつも閲覧注意に来る閲覧注意に閲覧注意の閲覧注意の閲覧注意を見ざるを得なかった。

 

 閲覧注意、閲覧注意は閲覧注意の閲覧注意のはずだった。閲覧注意とは閲覧注意の閲覧注意の、でも少し閲覧注意な、そんな閲覧注意に酔っていた。しかし閲覧注意も閲覧注意も閲覧注意を重ねている閲覧注意に、閲覧注意の閲覧注意を強く閲覧注意するようになっていった。閲覧注意は閲覧注意にとっても閲覧注意だと思う。閲覧注意も閲覧注意も、閲覧注意にもそういった閲覧注意は閲覧注意ではなかった。その閲覧注意が閲覧注意に、閲覧注意の閲覧注意をより閲覧注意な閲覧注意にしていった。閲覧注意と閲覧注意は、閲覧注意の閲覧注意を経て閲覧注意につながっていた。

 

 閲覧注意は閲覧注意を決して、この閲覧注意を終わらせたいと閲覧注意に伝えた。閲覧注意に閲覧注意が閲覧注意になったり、飽きたりしてしまった閲覧注意ではない。何となく、閲覧注意の閲覧注意を閲覧注意が許さないような閲覧注意がした閲覧注意だった。閲覧注意も閲覧注意にはしないが、薄々そう感じているように思えた。閲覧注意とは閲覧注意だった、というような閲覧注意を閲覧注意が言っていたが、閲覧注意にとって、紛れもなく閲覧注意は閲覧注意だった。そう思わないとどう生きたら閲覧注意のか、わからなくなるからだ。これで閲覧注意に会うのが閲覧注意だと思うと、閲覧注意は閲覧注意に閲覧注意を感じた。閲覧注意な閲覧注意が閲覧注意の閲覧注意から失われているようだった。閲覧注意は酷く閲覧注意の閲覧注意の閲覧注意に少し似ていた。閲覧注意からの閲覧注意で閲覧注意がいなくなるなんて考えたくなかったし、考えられなかった。

 

 閲覧注意は狭かった。閲覧注意が残らないように、閲覧注意以上閲覧注意しないようにと、お互い閲覧注意の閲覧注意で寝たからだった。閲覧注意は閲覧注意が寝ている閲覧注意へ簡単に行けないように、閲覧注意から落ちるすんでの閲覧注意で閲覧注意になっていた。そして閲覧注意は閲覧注意の閲覧注意くらいの閲覧注意にあった閲覧注意の閲覧注意の閲覧注意を掴んで、静かに泣いていた。少しすると、もう閲覧注意の閲覧注意にいたはずの閲覧注意が、閲覧注意の閲覧注意を撫でてくれた。閲覧注意の閲覧注意をかけてくれた。何が閲覧注意だ。閲覧注意に閲覧注意を遣わせてしまった閲覧注意が酷く情けなく思えた。撫でられたら、慰められたら、閲覧注意を忘れられなくなってしまう。そう考えた閲覧注意は閲覧注意の閲覧注意を振り払った。それでも閲覧注意は再度撫でてくれた。閲覧注意は強く閲覧注意の閲覧注意を押しのけた。これで閲覧注意の閲覧注意を嫌って欲しいと願うばかりだった。

 

 閲覧注意の閲覧注意が響く。同じ閲覧注意の閲覧注意で、閲覧注意をくゆらして鳴る閲覧注意の閲覧注意が聞こえる。眠れない閲覧注意は閲覧注意の閲覧注意で眠っている閲覧注意の閲覧注意が見えないかと、閲覧注意に置いた閲覧注意をかけた。ほとんど何も見えなかったが、閲覧注意のかすかな赤い閲覧注意の閲覧注意、ほんの少しだけ見る閲覧注意ができた。閲覧注意は閲覧注意の閲覧注意の閲覧注意で、うっすらと白い閲覧注意で縁取られた閲覧注意だった。その閲覧注意は、静かな閲覧注意の閲覧注意で舞う閲覧注意のように美しかった。茶髪気味な閲覧注意は、閲覧注意で一番艶やかな閲覧注意のように見えた。閲覧注意が立てる閲覧注意は、閲覧注意をどうしようもなく切なくさせた。

 

 閲覧注意、閲覧注意は先に起きていたらしい。閲覧注意に閲覧注意の閲覧注意は見えなかった。閲覧注意の閲覧注意が聞こえる。この閲覧注意は閲覧注意だけの閲覧注意だ。そう思うとまたなんだか虚しくなってきた。この閲覧注意で、この閲覧注意で、閲覧注意ともしゃべらずに閲覧注意でいることの閲覧注意は凄まじい閲覧注意だ。一度手に入れた閲覧注意を手放さなければいけない閲覧注意。全ての閲覧注意に裏切られた閲覧注意だった。

 

 閲覧注意が開く閲覧注意がする。閲覧注意が閲覧注意を終えたのだろう。閲覧注意をしている。閲覧注意や閲覧注意で乱れる閲覧注意の、閲覧注意に入ったときの閲覧注意の閲覧注意になっていた。これから閲覧注意、閲覧注意のこの閲覧注意を閲覧注意の閲覧注意に見られると思うと閲覧注意が閲覧注意しそうだった。

 

 閲覧注意、あの閲覧注意での閲覧注意があった。いつもより閲覧注意が寒く感じる。閲覧注意はいつも閲覧注意で座っていた閲覧注意から少し離れた閲覧注意に座っていた。いつもの閲覧注意には閲覧注意が閲覧注意と思しき閲覧注意と座っていた。閲覧注意と閲覧注意が並んで座っていた閲覧注意も、閲覧注意の閲覧注意のように見られていたのであろうか。閲覧注意はその閲覧注意の閲覧注意に、別れた閲覧注意の閲覧注意を重ねてしまっていた。

フレンド

 広いベッドだった。マットレスの中央で2人分の肉体がくっついていたからだ。肉と肉の境界は限りなく曖昧になっていた。彼女とは去年、大学で出会った。偶然、大教室での講義で席が隣になったことから知り合ったのだ。今僕らは行きつけのホテルにいた。このホテルは彼女が紹介してくれた、なんでも前の男とよく来ていたそうだ。そんな彼女はフロントでのチェックインや部屋の間取り、備え付けられたヘッドボードの操作などに手慣れていた。そのため、僕はいつもホテルに来る度に前の男の幻影を見ざるを得なかった。

 お互い、最初は遊びのつもりのはずだった。彼氏彼女とは別の関係の、でも少し特別な、そんな関係に酔っていた。しかし何度も何度も逢瀬を重ねているうちに、彼女のことを強く意識するようになっていった。それは彼女にとっても同じだと思う。僕も彼女も、お世辞にもそういった営みは上手ではなかった。そのことが逆に、僕らの関係をより特別なものにしていった。彼女と僕は、0.01ミリの壁を経て完全につながっていた。

 僕は意を決して、この関係を終わらせたいと彼女に伝えた。彼女に会うことが苦痛になったり、飽きたりしてしまったわけではない。何となく、僕達の関係を世間が許さないような気がしたからだった。彼女も口にはしないが、薄々そう感じているように思えた。世間とは私だった、というようなことを誰かが言っていたが、僕にとって、紛れもなく世間は他人だった。そう思わないとどう生きたらいいのか、わからなくなるからだ。これで彼女に会うのが最後だと思うと、僕は心に空白を感じた。大事なものが体の内側から失われているようだった。それは酷く空腹のときの感覚に少し似ていた。これからの生活で彼女がいなくなるなんて考えたくなかったし、考えられなかった。

 ベッドは狭かった。未練が残らないように、これ以上執着しないようにと、お互いベッドのはじっこで寝たからだった。僕は彼女が寝ている方へ簡単に行けないように、ベッドから落ちるすんでのところで横になっていた。そして僕はベッドの真ん中くらいのところにあった彼女のバスローブの端を掴んで、静かに泣いていた。少しすると、もう一方のはじっこにいたはずの彼女が、僕の頭を撫でてくれた。慰めの言葉をかけてくれた。何が慰めだ。彼女に気を遣わせてしまった自分が酷く情けなく思えた。撫でられたら、慰められたら、彼女を忘れられなくなってしまう。そう考えた僕は彼女の手を振り払った。それでも彼女は再度撫でてくれた。僕は強く彼女の手を押しのけた。これで僕のことを嫌って欲しいと願うばかりだった。

 空調の音が響く。同じベッドの上で、体をくゆらして鳴る衣擦れの音が聞こえる。眠れない僕は暗闇の中で眠っている彼女の顔が見えないかと、ヘッドボードに置いたメガネをかけた。ほとんど何も見えなかったが、常夜灯のかすかな赤い灯りの元、ほんの少しだけ見ることができた。それは黒の世界の中で、うっすらと白い肌で縁取られた顔だった。その顔は、静かな湖畔の上で舞う蝶のように美しかった。茶髪気味な毛髪は、世界で一番艶やかな糸のように見えた。彼女が立てる寝息は、僕をどうしようもなく切なくさせた。

 朝、彼女は先に起きていたらしい。ベッドに彼女の姿は見えなかった。シャワーの音が聞こえる。この音は僕だけのものだ。そう思うとまたなんだか虚しくなってきた。この施設で、この部屋で、誰ともしゃべらずに独りでいることの空虚感は凄まじいものだ。一度手に入れたものを手放さなければいけないやるせなさ。全てのものに裏切られた気分だった。

 扉が開く音がする。彼女がシャワーを終えたのだろう。化粧をしている。汗や体液で乱れる前の、ホテルに入ったときの彼女の顔になっていた。これから先、彼女のこの姿を他の男に見られると思うと血液が沸騰しそうだった。

 後日、あの大教室での講義があった。いつもより空調が寒く感じる。僕はいつも2人で座っていた席から少し離れたところに座っていた。いつもの場所には女子大生が彼氏と思しき男性と座っていた。彼女と僕が並んで座っていた光景も、彼氏彼女の関係のように見られていたのであろうか。僕はその女性の姿に、別れた彼女の姿を重ねてしまっていた。

ナイフと骨付きチキン

 とても嫌なことがあった。正確には小さな嫌なことがたくさん降り積もって、心のどこか大事な部分がその重さに耐えられなくなり、巨大な黒い穴が空いてしまった感じだった。その底なしの黒さが全ての前向きなことの一切合切をその内に引きずりこんで、体の中心にずしりと重たい塊を作っていた。もう何もする気が起きない。普段感じてもいない重力の大きさを感じざるを得なくなっていた。このまま時間が経過したらいつか私の身体は押し潰されて、完璧な平面になってしまうのではないか。そう思うほどであった。
 そんなとき、友人から食事に誘われた。動く気力も食べる気力もなかったうえ、雨も降っていたため行きたくなかった。しかし断る気力も湧かず、半ば無理矢理に食事に行くことになってしまった。彼女は歩くのが遅い私に歩調を合わせてくれた。何かを察しているのか、私に一言も話しかけなかった。彼女が右手に持つ傘の縁から水滴が落ちる。2つの傘に雨粒が当たる音だけが聞こえた。その音は世界からの拒絶の音であるかのように聞こえた。
 気づいたら私たちは小さな洋食屋の前に立っていた。何回か来たことがある店だった。私たちは奥の席へ通された。他に客は1人もいなかった。2人用の小さめなテーブルにはお冷が置かれた。グラスに入れられた透明な水だ。喉は乾いていたが飲む気がしなかった。メニューも眺めずに、彼女は店員に骨付きチキンを頼んだ。その店員は私からも注文を取ろうとしたが、私が黙って目を伏せていると、店員は厨房の方へと姿を消した。雨脚が激しくなっている。雨粒がアスファルトに落ちる音が大きくなっていた。こんなに天気が悪くなるなら、彼女に断る姿勢をもっと見せていればよかった、そう思った。気分は最悪である。傘を意にも返さないような鋭さの雨が降っている。グラスに浮かぶ氷が一回り小さくなる頃、骨付きチキンが彼女の前に運ばれた。
 いただきます。そう言って彼女は骨付きチキンをナイフとフォークを使って食べ始めた。私はそれが強烈に奇妙なもののように感じた。骨付きチキンを食べるのにナイフを使うなんて!という気分になったのだ。世の中にこんなにおかしなことがあってもいいのか。私はひどく憤慨した。そんな私の思いとは裏腹に、彼女はテーブルの端に置かれたフォークをとり、さっさと目の前の肉を口に入れようとしていた。右利きであるはずの彼女はフォークを右手に、ナイフを左手に構えていた。私はひどくあきれた。

 フォークで肉を押さえる。ナイフを動かす。肉が削がれる。それをフォークで刺し、口に運ぶ。白い骨の部分が露出する。再び肉がフォークで押さえられる。今度はさっきと別の部分でナイフが動かされる。肉を削ぐ。その肉がフォークで刺され、口に運ばれる。さらなる骨が露出する。彼女はこれを食べ終わるまで繰り返した。終始金属と皿が擦れて嫌な音が店内に響いていたし、骨に肉がこびりついているところが多数あったし、肉の脂がテーブルに垂れていた。その上、皿に盛られている肉の三分の一ほどは完全に手をつけられていなかった。友人は食べ終わりの挨拶をせずに、店員を呼んだ。会計をするためであった。
 店を出るとき、雨はあがっていた。

悲しき玩具

 男には付き合っている女がいた。付き合い初めて2年になる。しかし男には、その女とは別に、付き合いたい女がいた。今の女と縁を切りたいわけではない。ただ、体の内側から滔々と滲み出て、心の臓を締め付け上げるあの感情を覚えさせる、あの女がいるのだ。その女が近くに居ると、居ても立ってもいられなくなった。何か大きなエンジンが疼いて、生物の本懐が太古の号令をかけているような気分だった。夏の木陰に立つのが似合うその女を見ていると、男は女をぐちゃぐちゃにしたいと思った。その女と目が合うと、目を伏せたくなった。男は苦しい。苦しいのだ。彼女は男を苦しくさせる。家で床に付くときも、彼の燃え盛る激情が、男を追い詰めた。この1週間ほど、男はその女に思考を奪われてしまっていた。男は付き合っている女と会っても、もはや何の感情も動かなくなった。男は幼い頃に遊んでいたおもちゃを思い出して、泣いた。